匂いがきっかけで、ふと、ある記憶がもどってきたりすることには名前があって、「プルースト現象」と呼ぶそうです。音楽でも、同じ経験をしたことはありませんか。ジェームス・テイラーというアーティストがいて、その「サニー・スカイズ」は、Apple Musicのプレイリスト「ジェームス・テイラー:隠れた名曲」にすら入らないようなマイナーな曲なのですが、私は、これを聴くと、18歳のときに1年だけ豊島区に住んでいた頃の、5月のある出来事を思い出します。
「サニー・スカイズ」を初めて聴いたのは、池袋発、豊島園行きの西武池袋線の車内でした。上京の前に、iPodを父親に買ってもらっていたので、当時は、レンタルショップや図書館でたくさんのCDを借りて、入れていました。そのiPodで「サニー・スカイズ」を聴きながら、車窓から住宅街を眺めていると、5月晴れにジェームス・テイラーの歌声がマッチしました。きっと、まぐれで構図が良かったのと、その時の体調のおかげだったと思うのですが、そうとう心に響いてしまいました。
ところで、ニック・ホーンビィという作家がいるのですが、彼は、歌と思い出について、こう書いています。「ひとつの歌を愛し、その歌とともに人生の様々なステージを乗りこえてきたのだとすれば、ある特定の記憶なんて手垢にまみれてすっかりくすんでしまう」(訳・森田義信)「サニー・スカイズ」はいい曲だと思いましたが、すぐに浮気しました。もっといい曲があったからです。聴かなくなったので、あの時の西武池袋線の景色が、「手垢にまみれてすっかりくすんでしまう」ことはありませんでした。
それから何年もあとに、としまえんが閉園する、というニュースを聞きました。かなりショッキングでしたが、そこで、いちばん最初に頭に浮かんだのは、エルドラドでも、サイクロンでもなかったのです。そう、やっぱり「サニー・スカイズ」でした。今はもうない、椎名町のレンタルショップでCDから取り込んだ、あのときの音源で、この曲を聴いてみました。あの西武池袋線の景色が、ちゃんと戻って来てくれました。そして、「としまえんが無くなるなんて、寂しい」と、素直に思いました。
豊島区に住んでいたあの1年で、本当にいろいろなことを学びました。ユナイテッド・シネマとしまえんには、何度もIMAXを観に行きましたし、気になっている人と、緊張しながらデートにもいきました。でも、思い返してみると、あのとき、としまえんには一度も入っていなかったのでした。はじめて入ったのは、何年もあと、会社勤めをするようになってから。実は、「あのころ」のとしまえんの思い出は、なかったのです。思い出改ざん、ちょっと悔しいな、と思いましたが、まあ、いいか。